外見だけで判断すると、ワカツは30代に見える。
この街には掃いて捨てるほどいる正体不明の人々と同様、
ワカツも、名前以外は出生も素性も明らかではない男だった。
長い茶色の髪を後ろで束ね、額にはバンダナ。
鳶色がかった目は細く、骨ばった顔は全体的にあっさりとしていたが、
うっすらと無精髭を生やしているせいで、何とかメリハリがついている。
店に現れた J とアリヲを一目見て、ワカツは何を言うでもなく店内を見渡した。
空いているところに座れ、という意味らしい。
いつもお決まりの動作だ。
だが、いつ訪れても空き席に困らないこの店にとっては
それは無意味な仕草だ、といつも J は思っている。
店の数少ない常連である2人は、いつも食べるものが決まっている。
と言うよりも、一日に出されるメニュー自体が1つしかない。
その日の気分によって食べたいものを選ぶなどという余地がないのが
ワカツの店の特徴といえば、特徴であった。
J とアリヲが訪れた今も、当然ワカツは何も尋ねず、
まだ席にもついていない2人を尻目に早速料理に取りかかる。
愛想がないだけでなく、この男は口数も極端に少ないのだ。
何しろ、客に 「いらっしゃい」 すら言わないのだから。
ワカツの店で常連になり得るのは、
このような客商売にあるまじき店主の態度や、選択肢のない食事に対して、
寛容あるいは無頓着でいられる性分の人間だけである。
2人のように。
カウンターの裏でコンロに火を点けて、ワカツが何やら調理している間、
アリヲはカウンターの端に投げ出されていたデイリーペーパーを手に取った。
日付は2日前。
恐らく客が持ち込んで、そのまま置き捨てていったものだろう。
「ワカツ、電気つけるよ。ちょっと暗くて読めないや」
そう訴えたアリヲに、ワカツはやはり無言で頷いた。
天井には電線で吊るしただけの電灯が幾つか並んでいて、
アリヲは勝手知ったる、というふうに、宙にぶら下がっている紐を引いた。
途端に店内が明るくなり、それに比例して入り口から覗く外の景色が暗さを増す。
時折、電灯の明度がすっと弱まることがあったが、
それは近隣の店で電力を共有しているせいである。
電力会社からの供給電力は少ない上に電気代もバカにならないので、
この辺りの店や屋台は、自家発電による電力を共同利用しているのだ。
J の隣では、アリヲがデイリーペーパーを目の前に広げて、
その細かな文字を順に追っている。
活字好きの少年は、書物であろうと新聞であろうと、
文字が書いてあるものさえ見つけたら、それを読まずにはいられないようだ。
「何かオモシロそうな記事、載ってるか?」
煙草を取り出して火を点けながら、J が尋ねた。
「えっとね、そうだなあ……」
紙面を吟味するようにアリヲが目を落とした。
「『衛星回収率、年内3割超えの予定。二次利用の見通し難航』 だって」
アリヲは見出しの大きな文字だけを拾い、声に出して読んだ。
普段から文字に親しんでいるだけあって、
大人向けに書かれた複雑なニホン語も難なく読めるらしい。
「他には?」
「『人間クローン解禁に関する修正案提出。いまだ残る根強い倫理問題』」
「他」
「『エウロペ声楽界の至宝マノン・デ・オッツェル、来春ニホンで初リサイタル開催決定』」
「……」
J は少し考えるような表情を浮かべたが、すぐにそれを煙草の煙の陰に追いやった。
「他は?」
「『来年度の世界長者番付、ニホンの雄・笥村聖氏の順位は?』」
「……ちょっと見せてみ」
初めて興味を惹かれたように、J が横から紙面を覗き込む。
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