「誰かが見てた」
「え」 と、アリヲがぎくりとした表情を浮かべる。
「……と思ったんだけど、違ったみたいだ」
「やめてよ、こんな所でそゆコト言うの」
アリヲは J の背中にしがみつかんばかりになって言った。
どうやら本気で怯えているようである。
感受性が強いこの少年は、ささいな不安や恐怖に対しても敏感なのだ。
「ホントに怖がりだね、お前は」 と、呆れたような J。
「しっかりしなさい、男の子」
「だって、この道さ、何かちょっとコワくない?」
J が嗅ぎ取った路地の鬱気を、アリヲもしっかり感じているようだ。
路上に目を走らせ、見えない人影を探すように四方を見回している。
「夜にはゼッタイ通りたくないよね、ここ」
「お前の嫌いなユーレイとかオバケとかも出そうだしな。
……さっきあたしが感じた視線の主、実は人間じゃなかったら、どうする?」
「だから、そういうコト言わないでってば」 アリヲがムキになる。
「第一、オバケがこんな明るい時間に出るわけないよ」
「出ることも、あるカモよ」 低い声音で J が脅すように言った。
「やめなって、もう」
アリヲは軽く J を睨み、少しムッとした口調で J の手を引っ張り、ぐいぐいと先に進んだ。
こんなふうにアリヲが J に揶揄されるのはよくあることで、
アリヲの方も真剣に怒っているわけではないが、やはり愉快な気分ではないらしい。
「ほら、早く行こうよ。もうすぐ屋台通りに出るんだから」
アリヲの言葉通り、数秒後ようやく2人は路地から抜け出すことができた。
どちらからともなく、ホッと息をつく。
アリヲのように恐怖心を感じていたわけではないが、
路地裏の独特な閉塞感には、J もウンザリしていたのだ。
2人が出たのは、先ほどまで歩いていた表通りよりも狭い道だが、
たった今通り抜けてきた空間と比較すれば、充分広く、そして充分活気があった。
屋台通り。
その名の通り、大小の屋台を中心として、様々な出店が建ち並ぶ通りである。
時間帯によっては、表通りより通行人が多いこともあるが、
ちょうど混み合う時間よりも少し早めの今は、予想外に賑わいが少ない。
J とアリヲは、雑多な屋台の並びから目指す一軒を選んで足を向けた。
バラックに近いその店は、今にも傾きそうな店構えを呈していた。
錆び付いて、ところどころ穴の空いたトタン板をなけなしの屋根代わりにしている。
四方を囲むのも、これまたどこで拾ってきたのか、というようなベニヤ板で、
一つの空間としては成り立っているが、およそ店とは言いがたい外観である。
元の色が判らなくなるほどペンキの薄れた壁の文字は、辛うじて 『…カツ』 と読める。
元々は 『ワカツ』 と書いてあったらしい。
この店の主人の名前であり、店の名でもある。
月日が経つ内に色あせてしまったようだが、
店主が直そうともしないから、ずっと 『…カツ』 になっている。
勿論、道行く人間が気にする筈もないので、これからもこのままに違いない。
扉のない吹きさらしの入り口を入れば、外観よりも広く感じられる店内が待ち受けている。
だが、実際に広いわけではなく、単に物がないからそんな印象を与えるだけである。
席はカウンターのみ。古びた椅子が不揃いな間隔で並んでいる。
カウンターの向こうでは、様々な調理器具が並んだ棚を背景に
無愛想な男が一人、煙草をふかしながら立っていた。
主人のワカツである。
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