万が一の為の銃。
だが、発砲は極力避けろ。
それは、この仕事が決まった時の約束事だった。
念を押して言われるまでもなく、懐に忍ばせていても使う気などさらさらなかった。
それなのに。
「……それはダメだ、タカギさんっ」
男B がそう叫んだのと、その強張った表情から女が何事かを察したのと、
いずれが早かったか。
カチリ……と撃鉄を起こす音が女の背後でひそやかに響いた時、
女は振り返りもせず横に飛んだ。
ほぼ同時に、
BAAAANGGGG !
……剣呑な谺が、夜の静寂を引き裂く。
「……」
誰もが沈黙した。
炸裂音が、空のあちらこちらに反射して、やがて消えていく。
男B は身体を硬直させた。
目の前には、タカギがいた。
その間にいた筈の女は地面に伏せている。撃たれてはいない。
タカギの発砲よりも、女の素早さの方が1、2秒ばかり勝っていたらしい。
ほっ……とする間もなく、男B はすぐに別の緊張を強いられた。
女が身をかわしたために、男B は銃を持ったタカギと正面から向き合う形になっている。
銃口は男Bの少し右側に向けられていた。
女が立っていた場所だ。
もしも、ほんの数cm、弾道がずれていたら。
男B は、朱に染まって地面に倒れる自分を想像して、背筋が波立つのを感じた。
弾の的となる不幸からは逃れられたが、
至近距離で聞いた銃声の余韻が鼓膜に残り、男Bを混乱させていた。
タカギは呆然としていた。
しかし、その目は血走っている。
銃は構えたままだ。
今や、誰の忠告も制止も届かない。
そう言わんばかりの形相が辺りの空気を凍りつかせている。
決まらないポーズのマネキンのように、誰もが動かなかった。
不出来な彫像達が立ち並ぶ空き地の中、
銃口だけが向けるべき相手を探して緩慢な動きを見せる。
全ての者にとって、ほんの数秒が永遠にも似て長く感じられた。
その一瞬後。
最初に動いたのは、女だった。
「……こンの単細胞っ」
たわんだバネが元に戻ろうとするように敏捷に起き上がると、
女はタカギの手を目掛けて容赦ない蹴りを見舞った。
「ダウンエリアで発砲すンじゃねぇよっ。ここには厄介な不良刑事がいるんだぞっ」
銃は撥ね飛び、タカギよりも数m離れた地面に、硬い音を立てて落ちた。
女の目は吊り上っている。
また、キレ始めた。
男B は何度目かのため息をついた。
銃を失い、空になったタカギの手が、
そこだけ突風に巻き込まれたかのように遮二無二振り回される。
偶然、女が身にまとっているコートにその手が触れ、
タカギは頭で考えるより早く (というより、恐らく何も考えずに)、
布地を引っ掴むと力任せにそれを引っ張った。
それは、さすがに予想外の行動であったようで、女は思わず後方へ体勢を崩した。
何とか踏み止まろうとするが、しかし、あらぬ力に引かれる自らのコートに束縛され、
重力に逆らえずに倒れ込んでしまう。
運の悪いことに、倒れた先には例の古い噴水があり、
その石造りの縁に女は側頭部を打ち付けた。鈍い音がした。
「あ痛っ」
それでも何とか起き上がろうとするが、女のダメージは大きいらしく、
先刻までの俊敏さは、やや影を潜めている。
その隙に、タカギはふらふらと起き上がった。
落ちている拳銃を目で探し、おぼつかない足取りで近付いた。
その時点で、静止していた他の彫像達は、ようやく動きを取り戻した。
事ここに至っては見て見ぬ振りもできぬ、とばかりに、
男C の方が、タカギよりも先に拳銃を拾い上げようとしたが、
タカギは有無を言わさず殴り倒した。
残った2人の男達は、タカギの背後から飛び掛り、何とか押さえ込もうとしたが、
体内でどんな興奮物質が分泌されているのか、
尋常でないタカギの怪力は、容赦なく2人を吹き飛ばす。
もう見境がなくなっている。
地面に打ち付けられた男B は、愕然とした。
こんなバカな。
バカな。
バカな。
バカな。
今度ばかりは、男B は本心からタカギを呪った。
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