その後、J はさらに30分ほど費やしてミヨシへの質問を続けたが、
老人の返答が律儀で誠実であるにも関わらず、そこから特に大きな収穫は得られなかった。
念のためにまた後日訪れることになるかもしれない。
そう J が告げてもミヨシは拒絶しなかった。
麻与香の命令は、忌々しくも実に行き届いているようだ。
「ああ、そうだ」
席を立ちかけて J はコートのポケットにある物を思い出した。
聖の部屋にあった卓上カレンダーである。
「ミヨシさんに、ちょっと見ていただきたいものがあるんですけどね」
「はい?」
「これなんですが」
「カレンダー……でございますね」
目の前に差し出されたものを見て、ミヨシが首をかしげる。
「これが、何か?」
「いえね、さっき笥村氏の部屋で見つけたんですが」
J はパラパラと数枚をめくってみせた。
「日付に印がついてるでしょう。これがナンなのかご存じないか、と思って」
「はあ」
ミヨシはカレンダーを手に取ると、目を眇めるようにして紙面に見入った。
ただでさえ細い目が、ミヨシの額に流れる皺と同じくらいの幅になる。
2月、3月と順に紙面をパラパラとめくりながら、ミヨシは眉をしかめた。
「はて……何でございましょうか? 私にも分かりかねますが……」
「……ですか」
青い丸印。
笥村聖がプライベートで記した、何らかの印。
取るに足らないことなのかもしれない。
たとえば、愛妻との会食の約束であったり。
ご贔屓のスポーツチームの試合観戦であったり。
もしかしたら、麻与香の与り知らぬ不倫相手との密会であったり。
「……そういえば」
分からないと言いつつ、ミヨシは懸命に何か心当たりがないか、
記憶の底を辿っているようだった。
「旦那様は定期的に医療機関で定期健診を受けておられますが……
でも、どうやらその日付とも違うようですし」
「定期健診ね」
「はい、月に一度」
「ふうん」
気に入らない。
この世の権力と財源を一身に集めながら、
その上、人並みに自分の健康を欲する、という人間臭さに
何となく身勝手にも軽い反感を覚えてしまう J である。
せいぜい長生きして我が世の春を謳歌したいのだろうが、欲の深いことだ。
「まあ、いいか」
いずれにしても、日付の謎についてミヨシからは何の情報も得られなかったが
念のため J はそのカレンダーをしばらく借り受けることにした。
ミヨシは相変わらず人の好い笑顔で 「ご自由にどうぞ」 と応じた。
それにしても穏やかな老人だ。
暇乞いをして席を立ちながら、J はミヨシの顔を改めて見た。
始終笑みを浮かべ、それが決して上辺だけではない温かさを持っている。
向き合って話をしているだけで、気分が和んでくる相手というのもそうはいない。
少なくとも、J の周囲では見かけないタイプである。
自分の事務所にも、こういう人間が一人いてくれれば
諛左との間で毎日のように繰り返されるギスギスした雰囲気も少しは和らぐだろうに。
どうでもよいことを考えながら部屋を出た J は
深々と頭を下げた、その穏やかな老人に見送られながら笥村邸の外へ出た。
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