頭上からの灯りで手元が暗くならないよう気をつけながら、
J は紙面に書かれた文字に目を走らせた。
それは、エウロペの経済誌が毎年行っている個人総資産ランキングの統計を元に、
デイリーペーパーの記者が来年度の結果を予想したものだった。
記事の傍らには、つらつらと人名が書かれた順位表があり、
いわゆる世界中の億万長者の資産額、国籍などが上位から順に記されている。
「ほら、ここ。ハコムラヒジリって書いてある。14位だってさ」
アリヲが指差した先に、J も 「笥村聖」 の名を見つけた。
「資産額2兆イェン以上、だってさ」 アリヲが続ける。
「2兆って、お札にしたらどのくらいの量なんだろう。なんか多すぎてピンとこないね」
「少なくとも、この店の屋根に」 J が頭上を見上げる。
「それだけの金を積み上げたら、間違いなく重みでつぶれる」
J の勝手な想像に、調理中のワカツがジロリと視線を向ける。
アリヲと違って、笥村一族の資産額に J は今さら何の感慨も抱きはしなかったが、
それよりも、世の中には笥村以上の富を持つ人間が少なからず存在する、という事実に
むしろ興味を覚えた。
「ハコムラ以上の金持ちが13人もいるのか……バケモノだな」
隣にいるアリヲに言い聞かせているようで、どこか独り言めいたその言葉は
呆れたような響きを含んでいた。
ニホン人としては最高位だが、それでも14位。
やはり世の中は広いのだ。
ハコムラ、ハコムラと騒いでいるのは、結局のところ
千切れた世界の中の、ほんの狭いエリアの住人、つまりニホン人だけなのかもしれない。
勿論14位といっても、その資産額は J の生涯所得など及びもつかない金額である。
それだけ裕福であれば、笥村聖の捜索のために妻の麻与香が持参した
800万イェン・プラスアルファという金額も、この一族にとっては雀の涙以下なのだろう。
「何だかなあ……」 J はため息をついた。
「どうしたの、J 」 げんなりとした J の表情に、アリヲが不思議そうに尋ねる。
「いや、何と言うか……こういうのを見ると
フツーに稼いで、フツーに暮らしていくのが、すごくバカバカしく思えてくるんだよね」
そう呟いた J は、先ほど通り抜けてきた路地の様子を思い出していた。
そして、今にもつぶれそうなワカツの店を眺め、再び 紙面の 番付表に目を戻す。
この暮らしぶりの差は何なんだろう。
同じ世界で、同じ時代に、同じように生を受けた筈なのに。
今の世の中、『公平』 という言葉は、辞書の中にしか存在しないらしい。
「ボクたちとは世界が違うんだよ、こういう人たちは」 大人ぶった口調で、アリヲが言う。
「でも、父さんがよく言ってる。
お金を持ってたって、ロクなことがないって。
それに、お金をたくさん持ってる人には、ロクな人間がいないって」
子供に何を言い聞かせているんだ、あの親父は。
半ば呆れ顔の J だが、アリヲの父親の意見が全面的に正しいという訳ではない。
かといって、あながちハズれてもいない。
J としては大いに賛成したいところだ。
結局のところ、よほどのことがない限り、
富というものは既に富む者の周囲に集まり続けるのだろう。
それがロクな人間であろうと、なかろうと。
困ったものだ。
そして、持たざる者としては、そういう人種とは、あまり付き合わない方が賢明だ。
少なくとも、J はそう考えている。
長者番付に名を連ねる一族の人間、
つまり笥村麻与香は、本意ではないにしろ J の古くからの知り合いだが、
金と暇に飽かせて散々あの女に振り回されたカレッジ時代のことを思い出すと、
今でも J は気が滅入るのだ。
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