羊皮紙の表面にはサリナスが施した魔道の跡もまだ新しく、それと混じり合ってそこに書き記されている古の文字が漂わせる創世の魔法の息吹が勢いよくサフィラの瞳を弾いた。
「む」
サフィラは唸った。
まるでたった今かけられたばかりの呪文のように、それは鮮烈で劇的だった。
常人の目には映らぬ古の魔法の膜が幾重にも文字の上に織り込まれ、本来ある形を変えているのがサフィラには見えた。
成程、これではサリナスの不精進ばかりを責めることは出来ないだろう。サフィラでさえ一瞥にして解釈するのは不可能なくらいに入り組んだ詩なのだから。
「ふう」 やがて羊皮紙からゆっくり目を離すと、サフィラは疲れたように溜息をついた。
「何て詩だ。まるで着膨れし過ぎた冬場の父上みたいだな。纏う魔法が多すぎる」
「どういう例えだ」
「で? お前の解いた数行というのを聞かせてくれ。何が書かれているんだ?」
「楽をして意味だけ知ろうというのか? ずるいぞ」
「まあまあ、続きはいつか私が解き明かしてやるから。で、やっぱりマティロウサの言っていたような詩なのか?伝説でもあり、予言でもあるという」
「だから、まだそこまで読んでいないと言ってるだろうが」サリナスは悔しそうな表情を見せた。「ただ、最初の四行で一連となっているんだが、そこまで見た限りではどうも伝説のように思える」
サリナスは床の上に羊皮紙を丁寧に広げ、優しげな細い指をその面に走らせた。文字に指が触れる度に、微かな魔道の輝きが小さく火花を散らす。
「他に多くある古の詩がそうであるように、この詩も第一行は 『その上(かみ)』 より始まっている。『その上』……その昔、今は既に遠くなりし幾星霜の昔を甦らせる言葉。上つ代の英雄達を称える頌歌にもよく謳われる始まりだな」
「ではこの詩にも英雄達が?」
「英雄かどうかは分からぬが、人の名らしきものは登場する」
「古に生命を受けし者、か」
いつの間にかサフィラは視線を宙に漂わせ、夢の中を彷徨うような表情を浮かべてサリナスの話に耳を寄せていた。
遥か遠くに過ぎ去りし日に思いを馳せる時、常にサフィラの胸中にはある種の憧憬が沸き上がる。
今とは比べるべきもない魔力の宝庫であった太古の日々、人智による 『魔道』 ではなく生粋の 『魔法』 が息づいていた頃、大地はどんな歌を奏でていたのだろうか。
木々はどんな言葉を囁き、風はどんな思いを運び、水はどんな魔法を生み出していたのだろうか。
時を操ることが許されているものならば、サフィラは直ぐにでも歴史を遡り、時間を戻して、上つ代までも駆け登って在りし日の密度の濃い大気を両の腕一杯に抱き寄せたことであろう。
そして、その奏でる創始の力を自らの四肢で感じ取ったことであろう。
しかし時間に関する一切の魔道や魔法は、たとえ魔法使いといえども禁忌である。サフィラの憧れは憧れのまま終わるしかない運命にあり、それ故にサフィラは在りし日の詩の中で夢を見るのだ。
今、一つの夢をサフィラは体感しようとしていた。
サリナスがその夢を覚まさぬように低い声で件の詩の始まりを口ずさむ。それに合わせて紙面の上で文字が微かに揺らめいた。
その上 ナ・ジラーグという在りて
サリナスの涼やかな声がサフィラの耳を打つ。
かの日々の風もこの様な音色をかき鳴らしていたのだろうか。
現実と幻がサフィラの瞳に錯綜する。
それは耳に谺する太古の言葉が具象化したサフィラの憧心だったのかも知れない。
サフィラは何時の間にか目を閉じてその幻覚に静かに身を委ねていた。
その上 ナ・ジラーグという在りて
かの呪われし地ダルヴァミルにとどまり
奇しく織り成す数多の彩を縒り集めて
七と一つの水晶を造れり……
突然。
そう、突然、何かがサフィラの心を掻き乱し、サフィラはびくりと体を震わせた。
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