『どうせ、ヒマでしょ? 一日中、屋敷の前に突っ立ってるだけなんだし』
追い討ちをかけるような麻与香の言葉に、
胸中のわだかまりが、もう少しで反抗の言葉となって口から飛び出しそうになるのを堪え、
代わりに阿南は心の内で毒づいた。
あんたのおかげでな。
数ヶ月前までは、総帥・笥村聖直属の警護に当たっていた阿南である。
それが、ただの門番へと成り下がったのは、麻与香からの言葉があったからだ。
この時も、阿南やその上司の警備長が納得できる理由を麻与香から聞くことはできなかった。
聞いてもムダだ。
そう思いつつ、阿南は最後の抵抗を試みた。
『それこそ巷の刑事のように、ミス・フウノを張り込むということになると、
朝から晩まで監視する、ということになってしまいますが……』
『そうね。パートタイムの張り込みなんて聞いたことないわね』
『となると、ハコムラ邸での通常業務から離れることになりますが、
それについては、総帥……聖氏にも了解いただいているのでしょうか』
自分を雇っているのは、あんたじゃない。あんたの亭主だ。
そう言いたいところを、阿南なりにオブラートに包んだ言い方ではあったが、
麻与香の返事は、どうにも阿南を逆撫でする。
『あたしから言っておくわよ。
どうせ護衛は山ほどいるんだし、門番が1人くらい欠けても、どうってことないでしょ』
「……というわけだ」
昨晩交わされた麻与香との会話を手短に J に説明する阿南の表情は、
千代子が用意したブラックコーヒーよりも苦く、
聞いている J はといえば、苦いどころの顔つきではない。
「なーんで、あの女がっ……」
「下に聞こえるぞ」
「……なんであの女が、他人の身辺警護にまでクチ出してくるんだよ」
階下にいる招かれざる客に悟られぬよう声をひそめ、
J は目の前の男を薄明かりの中で睨みつける。
「知らんと言っただろう。俺に聞くな」 睨まれた方は、迷惑そうにその視線を避けた。
「いきなり訳の判らない仕事を押し付けられて、何故だと聞きたいのは、こちらの方だ」
「ワケが判らないなら、ほいほい引き受けずに断わりゃいいだろうに」
「断われるものならな。だが」
今度は阿南の方が少し声を荒げてみせる。
それでも、階下を気にするだけの細かさは持ち合わせているようで、
その声は怒気を含みながらも、かなり低い。
「ハコムラに金を貰っている身としては、無下に 『できません』 と断わることもできなくてな」
断われずとも、わずかばかりの抵抗は試みてみたが、
笥村麻与香の気まぐれは鉄壁よりも厚かった……などと告白する気もない阿南である。
もともと、この面倒な命令の原因は、目の前にいる麻与香の御学友のせいでもあるのだ。
それを考えると、阿南にしてみれば J に対しても虚心ではいられない。
「命じられれば、たとえボディーガードであろうと、屋敷の警備であろうと、
地下室を荒らすネズミ退治やシャンデリアのガラス磨きでさえ、
最終的には従わなきゃならないことになっているのさ」
「そんなこと言ってると、あの女のことだから今につけ上がって
『3回まわってワンと言え』 なんて言い出すよ。それでも従うっての?」
「命令ならな」
さらりと言ってのける阿南だが、言葉とは裏腹に
飼い犬にしては不相応なプライドが、全身から棘のように突き出しているのを J は見て取った。
麻与香の我儘に振り回され、自制心という枷につながれながらも、
それは決して錆びることがない。
いっそ錆び付いてしまえば楽なんだろうに。
そう思う J だが、そこまで器用な男でもなさそうだ。
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