それよりも、と J が話を戻す。
「麻与香が言ってる 『危険な目に遭うだろう』 ってのはナンなのさ?
あの女、総帥夫人の仕事の合間に、副業で占い師でも始めたの?」
「だから、俺に聞くなと言ってるだろう」
阿南の声は倦怠を含んでいる。
昨晩の、麻与香との不毛なやり取りを思い出したのだろう。
「結局、夫人はそれについても言わずじまいだ。
だが、それこそあんたの方に心当たりがあるんじゃないのか? 自分のことなんだから」
「心当たりは……」
大ありである。
J の記憶が数日前に遡る。
当の麻与香が持ち込んだ不穏な依頼。
世界に冠たるハコムラ・コンツェルン総帥の捜索。
あの時、麻与香は言っていた。
『ハコムラ周辺を嗅ぎ回っている連中がいる』 と。
そして、麻与香自身も尾行をまいて J の事務所を訪れたのだ、と。
あの女。
こちらにも火の粉が降りかかってくるのを承知で厄介事を持ち込み、
今度は、恩着せがましく火の粉を遮る鉄の傘 - 阿南を送り込んできた、というワケか。
阿南の言うとおり、それは 『気配り』 ではなく、単なる麻与香の 『気まぐれ』 だ。
J の身を案じているとは思えない。
もし麻与香が 『気配り』 などという芸当ができる上等の人間であったなら、
最初から、危険だと判っていることを強引に押し付ける筈がない。
J の顔つきが次第に無表情になっていくのを見つめながら、
阿南の声も同様に、感情を欠いた乾いた調子に移っていく。
「俺としても、余計な仕事が増えるのは迷惑極まりない。だが」
「飼い犬は飼い主の意向に逆らえなかった、と」
「そういうことだ」
ダイレクトな侮蔑の言葉に、阿南の暗い瞳に一瞬光が宿ったが、
それ以外は動じた様子もない。
あるいは阿南自身、J の言葉を心のどこかで肯定し、
プライドをざわめかせながらも自らを蔑んでいるように J には見えた。
「こんな回りくどい手を打つよりも」 阿南が続ける。
「あんたが夫人の親友だというんなら、直接……」
「親友? そんなモン、クソくらえだ」 J が即座に遮る。
「まったく親しくもないし、友人だと思ったことは一度もない。今までも、この先もだ。
たまたま同じ時期に同じカレッジにいた。ただそれだけだ。
今度 『親友』 とか言ったら、このグーで殴るぞ」
「……そうでない、と言うなら別に構わんが」 阿南は面倒くさそうに言った。
「とにかく、直接あんたに危険とやらを忠告してやればすむんじゃないか、と
夫人に提案してみたんだがな、一応」
「ふん。で、麻与香は何て言った?」
「『それじゃ、つまらない』 んだとさ。大した見込まれ方だな、ミス・フウノ」
「……その名前で呼ぶな」
J の胃が、不愉快とむかつきで凝り固まっていく。
あの女。
楽しんでやがる。
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