「フィランデの使者だって?」 サリナスは、本当か、と尋ねるようにサフィラを見た。
「たぶん」 サフィラはもう一度男の顔を睨んだ。
「顔はこんなだったかよく覚えていないが、この気障な立ち居振る舞いは、確かに今日の婚約式で見た記憶がある」
「だが、その使者とやらが何で俺の家にいるんだ?」
「私に聞くな!」
突然沸いて出たかのような男の存在に、「何故いる?」と思う気持ちはサリナスよりもむしろサフィラの方が大きかった。
「つれない言いようですな、サフィラ王女」
顔を覚えていない、と言われた男は少し心外な表情を見せた。
「婚約式では、一介の使者の身には余るほどの優しきお言葉をかけてくださったというのに」
「式典用の受け答えを真に受けるな」 サフィラが口をはさむ。
「いえいえ、たとえそれがいかに対外的なお言葉であったとしても、心の中に温情のお気持ちがなければ、あのように私の心を動かしますまい」
「丸暗記したんだ」 ぼそりとサフィラ。
「それはそれで、私などのために一生懸命覚えようとなさる、その真心がまた何とも感動いたします」
な、気障だろ、とサフィラがサリナスに小声で呟き、サリナスが、う、うむ、と曖昧に頷く。
「そんなことはどうでもいいのだ、フィランデの使者よ」
ああ言えばこう言う男の長々と続きそうな話をサフィラは無視して尋ねた。
「何故、ここにいる? お前は城にいるはずだろう」
「さて、それなのですが」
使者は、ようやく本題に入ったとばかりに、部屋の中に一歩足を踏み入れ、扉を閉めた。
「実は、生国フィランデを離れ、物慣れぬ異郷の地で寝るに寝付けず、つい夜空の月を変わらぬ友と眺めておりましたところ……」
「そういう言い回しはいいから」苛立たしげに眉間を抑えたサフィラが使者の言葉をさえぎる。
「簡潔かつ迅速に話せ」
「成程。つまりですな、眠れずに窓を開けて月を見ていましたら、城の外で何やらかすかな物音が聞こえまして……」
私、耳は大層良いのですよ、と使者は意味ありげにサフィラを見た。
「ふと見れば、何と一室の窓から人影が飛び降りようとしているではありませんか。しかも、私の記憶違いでなければ、それはまさしくヴェサニールのサフィラ王女その人のお姿でした」
「う」
サフィラは思わず言葉に詰まった。
見られていたのか。しかも、そのことにまったく気づいていなかったとは。
使者はにやりと笑った。
「それを見たときは、すわ投身自殺か? と心臓が飛び跳ねましたが、王女の姿はさながら風に舞う花びらのようにフワリフワリと地面へ……あれが、魔道というものですか? 初めて拝見しましたが、なかなか優雅なものですな」
サフィラはもはや口をはさまず、黙って使者の言葉を聞いている。
「そして王女は静かに馬を引き、門の方へ……。すると不思議なことに、それまで任を務めていたはずの門番が何の前触れもなく眠り始めて……あれも何らかの術ですかな?」
「う」
サフィラは再度、言葉を失った。その様子に、今度はサリナスが口を挟んだ。
「サフィラ、お前、人に術を使ったのか?」
非難を含むサリナスの言葉に、いや、その、とサフィラが口ごもる。
「使ったと言っても、簡単な眠りの魔道だ。害はない……と思う」
「害があろうがなかろうが、人への魔道はお前が今まで極力避けてきたことだろうが」
「それはそうだけど」サフィラも少し頑張ってみた。
「あの場合はああするより他にいい方法が浮かばなかったんだから、仕方ないだろう」
「だからといって、安直に実行するな。しかも城を抜け出すために」
「もうしないって」
「当たり前だ。そう何度もほいほいやっていいことじゃないぞ。マティロウサが聞いたら何と言うか」
「サリナス、お前、マティロウサには言うなよ」サフィラが急に心配げな表情を見せる。
「あの魔女にだけは、どんな小言を言われるか」
「あー、もし、お二方」
口論めいた会話に今度は使者が軽い苛立ちを見せて二人をさえぎるように、二度ほどわざとらしく咳払いをした。
「続けてよろしいかな」
「あ」
一瞬、存在を忘れられた使者の言葉に、サリナスとサフィラは思わず口を閉ざした。
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