J が2歳年上の麻与香と初めて出会ったのは、カレッジに入ってからの事だ。
その後、麻与香が卒業して
兼ねてより予定されていたハコムラ・コンツェルンの総帥夫人に納まるまで、
J にとって不本意なことこの上ない麻与香との親交は、ほぼ2年間続いたことになる。
『結局』
笥村聖との婚約が報道された翌日、麻与香と交わした言葉を J は思い出した。
『あんたは楽に人生を送る方法を手に入れたわけだ、麻与香』
『楽ってこともないと思うわよ。
これからコンツェルンに群がるハイエナを相手にしていかなきゃならないんだから』
麻与香は笑っていた。
人並み外れた美貌が麻与香の嘲るような微笑みに紛れる。
それがひどく残酷に見えたことを J は覚えていた。
J の記憶の中で、それが麻与香と交わした最後の会話だった。
「……どうした、J 」
諛左の氷の声が J を現実に引き戻した。
「懐かしい名前を聞いて思い出話でも浮かんだか」
「そんないいもんか」
J は緩慢に首を振った。
「あたしがあの女と仲良しだったとでも思ってんの?」
「さあね。どこかキレた人間同士、さぞ気が合ってたんじゃないのか」
J は諛左の二度目の皮肉を無視して、その日何本目かの煙草に苛だたしげに火を点ける。
渦巻く煙の中に麻与香の顔が嘲るように浮かんでいた。
諛左に言われるまでもない。
麻与香の名前は記憶の呪文を解き、J 自身が忘れていた昔の自分を思い起こさせた。
思い出したくないあれこれが頭の中に浮かんでは消えていく。
J は無意識のうちに右手の薬指を親指で弾いていた。
弾かれた指には板金の装飾品が鈍く光っている。
指輪ではない。
メッキをした丸い薄金を指に合わせて巻き付けただけの飾りだった。
表面には荒い線で何かの模様が打ち付けられている。
華奢な薬指の第二関節を覆わんばかりに光を放っているこの指飾りを J は外したことがない。
その指を弾くのは、J がよくやる癖の一つだった。
そんな J の様子を、煙草をくゆらせながら諛左は黙って見ている。
感情を控えた視線が相変わらず冷たい。
ふと気配を感じた J が顔を上げると、目の前にコーヒーを運んできた千代子が立っていた。
この女は立ち居振る舞いすら無声映画のように静かで
それでいて存在感は人並み以上にある。
無言でトレイをテーブルの上に置き、無言で部屋を出てく。
千代子の後ろ姿が扉の向こうに消えるのを眺めながら、J はカップに手を触れた。
コーヒーの苦さが、起きてからワインと煙草の煙しか口にしていない J の身体に染み渡った。
→ ACT 1-16 へ