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諛左が事務所を慌てて (『慌ててなどいない』 と本人は否定するだろうが) 出た時間より、
遡ること、およそ47分。
暗くて沈んだ、誰からも好意的に表現されることがない例の噴水がある空き地では。
目の前で起こっている光景に目を奪われ、
他称・男B が、言葉も発することも出来ずに、ただ突っ立っていた。
そこには男が、倒れていた。
うつ伏せになり、低い呻き声を上げながら地面に顔を押し付けて……
いや、押し付けられて。
タカギである。
やや貧弱な感のある男B に比べれば、背も高く、ゴツゴツした岩のような重量感を持つ
その男が、今、その体格の半分にも満たないような女に片手を後ろ手に取られ、
無様に這いつくばっていた。
自らを頭脳労働者と公言して憚らない男B は、
周囲の仲間ほどにはマーシャル・アーツに長じていないものの、
しかし、一通りの武芸についての知識は持っている。
その男B の目から見ても、女は奇妙な動きをした。
奇妙……違う。
素早いのだ。
一瞬。
そう、本当に一瞬のことだった。
呻くタカギを前に、男B は頭の中で、数分前に見せられたシーンを何度もリプレイした。
女の毒のある挑発に乗せられ、頭に血が上ったタカギは、
浅墓にも、相手を腕力で打ち倒すことで優越感を取り戻そうとしたようで、
有無を言わさず女に殴りかかろうとした。
しかし、女はそれを容易くかわした。
体勢を崩しかけたタカギは、目を剥いて、身を翻すと再度女に向かっていく。
それも、かわす。
攻める。
また、かわす。
一見、攻勢にいるタカギではあったが、女には触れることもできなかった。
決して大仰な動きではない。
前進するタカギを避けながら、少しずつ後ろに下がってはいるが、
女の足取りはあくまで軽く、ほんのわずかな不安定すら見られない。
こういうのを、いわゆる 『ノレンにウデオシ』 と言うのだろうか。
まさに、Beat the air だ。
目の前の光景とは遠いところで、男B はぼんやりと場違いなことを考えた。
短慮ではあるが、タカギは決して腕っ節の弱い男ではない。
しかし、性格と同様、単純な一直線の攻撃で相手を沈めようとするタカギの拳の道筋を、
女は何度か対する内に、明らかに見切っているようだ。
先程までの喧嘩腰に反して、女の目は冷静だった。
風のように、かわす。
空気は滞っている。
2人の周囲でのみ、風が流れる。
そこだけ、時間が流れている。
シャリッ……。
動くたびに、アスファルトの上の砂利が軋む。
静かな夜半、響くのはその音と、
タカギが息を切らして喘ぐ声、そして空しく宙を切る拳の音だけである。
女の呼吸は乱れてもいない。
なんだ、この女。
それが男B の正直な感想である。
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