さっき、元・会社の後輩からメールがあり、
同期だった T くんのお父さんが亡くなった、とのことでした。
まだ69歳だったとか。
T くんはワタシと同年代。
よく考えれば、同じ年頃の友人たちの中で、
すでに親がいない……というのも、決して少なくない。
この前会った大学時代の友人も、母親を亡くした、と言っていた。
私自身も数年前に父が他界している。
こういう話になると、友人同士で、
「もう、そういうトシになったんだねえ……」 と、つい言ってしまう。
いつまでも若くないし、
いつまでも親がいるわけでもない。
自分が年をとるだけ、当然、親も年をとる。
どこかで別れが来ることは、頭の中ではずっと判っていて、
実際にそれが起こる時期、というのが、
ちょうど今のワタシ達の年代ぐらいなんでしょうか。
さっきも言ったように、ウチはもう父親がおらず、母親だけ。
当の母親は今も元気に、趣味に、旅行に、充実した毎日を送っています。
母とその同級生は今も仲がよくて
定期的に集まって温泉に行ったり、観光旅行に行ったりしていますが
会うたびにメンバーが減る、と笑い話にしています。
メンバー同士でも、「今度は誰がいなくなるのかね?」 と冗談で言い合ったりしているとか。
母の信条は、
「先が長くないのは、もう判っているから、動けるうちに楽しむだけ」。
悟っている、というか、覚悟している、というか。
だからこそ、そんな不謹慎で自虐的な冗談も、笑って言えるんだろうなあ。
ワタシ自身は、とてもとても、まだそんな心境にはなれません。
そんなトシでもないし。
でも、自分も、自分以外の人も、いつかは終わるのは確実だから、
せめてそれまでは、母のように 「動けるうちは楽しもう」 という気持ちで
後悔だけはしないように生きたいもの。
……てなことを考えて、しみじみしていたら
1時間ほど後に、またメール。
今度は、元・同僚の K さんが、今日めでたくパパになった、とのこと。
うーん、
去る命があれば、生まれる命もあり。
同じ1日の中で、そんな2つのメールを受け取った今日という日。
こんな日も、あるのね。
ご冥福をお祈りします。
そして、お誕生おめでとうございます。
同期だった T くんのお父さんが亡くなった、とのことでした。
まだ69歳だったとか。
T くんはワタシと同年代。
よく考えれば、同じ年頃の友人たちの中で、
すでに親がいない……というのも、決して少なくない。
この前会った大学時代の友人も、母親を亡くした、と言っていた。
私自身も数年前に父が他界している。
こういう話になると、友人同士で、
「もう、そういうトシになったんだねえ……」 と、つい言ってしまう。
いつまでも若くないし、
いつまでも親がいるわけでもない。
自分が年をとるだけ、当然、親も年をとる。
どこかで別れが来ることは、頭の中ではずっと判っていて、
実際にそれが起こる時期、というのが、
ちょうど今のワタシ達の年代ぐらいなんでしょうか。
さっきも言ったように、ウチはもう父親がおらず、母親だけ。
当の母親は今も元気に、趣味に、旅行に、充実した毎日を送っています。
母とその同級生は今も仲がよくて
定期的に集まって温泉に行ったり、観光旅行に行ったりしていますが
会うたびにメンバーが減る、と笑い話にしています。
メンバー同士でも、「今度は誰がいなくなるのかね?」 と冗談で言い合ったりしているとか。
母の信条は、
「先が長くないのは、もう判っているから、動けるうちに楽しむだけ」。
悟っている、というか、覚悟している、というか。
だからこそ、そんな不謹慎で自虐的な冗談も、笑って言えるんだろうなあ。
ワタシ自身は、とてもとても、まだそんな心境にはなれません。
そんなトシでもないし。
でも、自分も、自分以外の人も、いつかは終わるのは確実だから、
せめてそれまでは、母のように 「動けるうちは楽しもう」 という気持ちで
後悔だけはしないように生きたいもの。
……てなことを考えて、しみじみしていたら
1時間ほど後に、またメール。
今度は、元・同僚の K さんが、今日めでたくパパになった、とのこと。
うーん、
去る命があれば、生まれる命もあり。
同じ1日の中で、そんな2つのメールを受け取った今日という日。
こんな日も、あるのね。
ご冥福をお祈りします。
そして、お誕生おめでとうございます。
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本を読んだり、文を書いたり、写真を撮ったり、絵を描いたり、音楽を聴いたり…。いろいろなことをやってみたい今日この頃。
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