「ところで……」 マティロウサはサフィラの方に目を向けた。
「妙に静かだと思ったら、魔白はまだそれを読んでるのかい?」
見ればサフィラは古ぼけた椅子に座り込んで蝋燭の明りを前に、茶色く変色した紙を広げてそこに書き連ねてある文字を覆いかぶさるように読んでいる。一筋縄ではいかないのか、両脇に分厚い魔道書を置いて、羊紙皮と本と代わる代わる目をやっては考え込んでいた。
まるで側で話していたサリナスとマティロウサの言葉が耳に入っていないかのように見えたが、魔女に話しかけられてサフィラは意外にすんなり答えた。
「まだも何も、妙に長くてすぐには読めないよ。これは詩だな」
「古のね。英雄たちを歌った頌歌だよ。伝説の詩であると同時に予言詩でもある、と言われている」
「伝説と予言詩? 質が全然違うじゃないか。伝説は過去に属する物、そして予言は未来を先んじる物だ。そうだろ、氷魔?」
「確かにそうだが」 考え考えサリナスが口を開く。
「伝説が遠い未来に具現するとして、それを予言したもの、と取ることもできないか?」
「だが頌歌だぞ。英雄たちを称えた詩だ。今の世の中、英雄たちが活躍する場などどこにもありはしないと思うがな」
「今ではない、ずっと先のことかも知れんしな」
「では、いずれにしても我々に関係する予言ではなさそうだ。だが、見てみろ、氷魔。文字の一つ一つに魔の技が息づいている。読み取るごとに気力を吸い取られるような気分になる。これは完全に解読するまでには結構手間がかかりそうだな」
サリナスはサフィラの肩越しに紙を覗きこんで、サフィラの言葉が正しいのを見て取った。
「確かに。不思議な詩だな。羊紙皮がこんなに古いのに、書かれている文字からは魔法の匂いが少しも褪せていない。マティロウサ、これは一体どういう詩なんだ」
老いた魔女は羊皮紙にちらりと目をやったが、すぐに視線をはずし、大きく鼻を鳴らした。
「ふん、お前さん方で読解すりゃいいだろう。『優・秀』 な魔道騎士が二人もそろっているんだから簡単に出来るだろうに」
「棘のある言い方だ。『優・秀』 と区切って言うところが妙に引っ掛かる」
「まあまあ、魔白。今日はこれで引けよう。これ以上ここにいたら何を言われるか。なあ、マティロウサ。この詩をしばらく借りていてもいいかな?」
サリナスの問いに、マティロウサはほんの一瞬だけためらいを見せたが、やがて鷹揚にうなずく。
「好きにおし。詩が解けるまでしばらく来なくてもいからね。ゆっくり解読おし。どうせ、読めなくてすぐに返してもらうことになると思うけどね」
お前たちに解読できるわけがない、という響きを含んだ魔女のつれない言葉に二人の魔道騎士は顔を見合わせ肩をすくめた。
結局、羊皮紙はサリナスが持ち帰ることになった。
そのような魔道の物をサフィラが城に持ち込めば、王の機嫌を損ねることになりかねない。
サフィラとサリナスが帰る素振りを見せると、ウィルヴァンナは顔を上げて別れの挨拶を交わしながら二人に、とりわけサリナスに微笑みかけた。
二人がそれに気付いたかどうかはともかく、老魔女はその瞳の輝きを見逃さなかった。
マティロウサの家を出たサフィラは城門の側でサリナスと別れ、いつものように出来るだけ馬の足音を立てないようにして裏の馬舎へと急いだ。
しかし、王へのご注進を生き甲斐としている老廷臣が、城の窓からサフィラの帰還を今や遅しと待ち構えている図は容易に想像できたし、どんなにこっそりと帰ってきても、自分の部屋に戻らぬうちに、もっと早い場合には馬舎の入り口に行きつく先に、
「サフィラ様、王がお呼びです。お帰り次第、御前に御目見得なさいますようとのことでございます」
と、見るからに忠義第一、命令絶対といういかめしい顔の年老いた侍従が有無を言わせぬ態度でサフィラを待ち構えているのが常だった。そして王の眼前に連れていかれ、延々と続く愚痴めいた説教に見舞われるのである。
サフィラが無断で城を抜け出した時は必ずこういう事態が待っている。
更に言えば、サフィラは毎日のように城下に下りるので、王はほとんど毎日小言を繰り返している始末だった。
后が堪りかねて
「効果がありませんわ。あの子、全然応えていませんもの」
と言ってみても (本当は 『全然聞いていませんもの』 と言いたかったのだが)、王は聞き入れようともしなかった。后は王よりもずっと人が良く鷹揚な女性だったので、ことさらマティロウサやサリナスのことを悪し様に言うことはなかった。娘に関しても 『明るく素直で優しい子に育ってくれた』 と信じているので、これ以上望むのは贅沢だとでも考えているのか、王のように大仰に嘆くことは滅多になく、
「今にそれ相応の年になれば、ちゃんと娘らしくなりますわ」
と幾度も優しく王を説得するのだった。
最後にはいつもこの王后の執り成しによって王の小言はどうにか収まるのだ。
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