「天下のハコムラ総帥夫人が、何の依頼か知らないけれど
こんなうらぶれた 『何でも屋』 の事務所にやってくるなんて、正直恐れ多くてね」
「うらぶれた、ねえ……」
麻与香は部屋の中を改めて見渡した。
遠慮も何もあったものではない麻与香の視線に眺め回されるだけで、
普段は気にならない部屋の狭さや、恐らく前の住人が残した壁の穴やシミなどが
あっという間に、惨めで風采の上がらない事務所の実態を浮き彫りにしてしまう。
というよりも、麻与香の存在そのものが、この部屋に似つかわしくないのだ。
色鮮やかなこの女がいるだけで、いつもの事務所が妙にかすんでしまう。
それが J には不愉快だった。実に。
胸中穏やかならない J に追い討ちをかけるように、麻与香がぽつりと呟く。
「確かに繁盛してるとは思えないわね」
「余計なお世話だ。今のあたしには、こういう物件で充分なの。特に不満はありません」
「そう? 好きでやってるならいいんだけど」
「好きでやってるんです。放っとけ、他人の労働環境」
J はじろりと麻与香を睨んだ。
「麻与香。あんた、人の事務所の品定めしに来たの?」
「そうじゃないけど、カレッジ以来、久しぶりに会うアンタだもの。
どんな暮らしをしてるのか、気になるじゃない?」
「気にしなくていいから。あたしの貧相な生活話は、もうおしまい」
「あら、そう? じゃあ、カレッジの思い出話でもする?」
「絶対しません」
「冷たいわね」
「仕事の話を」
「もう少し別の話、しましょうよ」
「麻与香」
忍耐という言葉は、まさに今、自分が置かれている状況のことを言うのだろう。
J は今すぐ事務所から飛び出してしまいたい気持ちを何とか抑えた。
「あんたが、ここに来た目的は、何?」
「もちろん、仕事の依頼よ。一応」
「じゃあ、その話をしてもらいたいんだけど」
「そんなに急がなくてもいいじゃない」
「麻与香っ」
「分かったわよ。つまんないわね」
ようやく麻与香は依頼人らしいポーズに移っていった。
「じゃあ、仕事の話だけど……アンタに頼みたいのは、人捜しよ」
それまでの他愛もない会話と違って、麻与香の言葉は端的だった。
挑むような麻与香の視線を一度受け止め、J は少し苛立たしげに目を逸らした。
「捜すって、誰を」
「ヒジリ」
J の目が、文字通り丸くなる。
「……は?」
J は自分が聞き間違えたのではないかと思った。
何故なら、たった今、耳にした名前は、確か……。
だが、麻与香は J を真正面から見据え、ゆっくりと頷いた。
「そうよ」
何か文句でもあるの、と言いたげな麻与香の瞳が狐のように性悪な光を放った。
「亭主を探して欲しいのよ。笥村聖を」
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