「ミス・フウノでいらっしゃいますね。お待ちしておりました」
J は頭痛を無理やり押さえつけて、煙草をもみ消した。
また 『フウノ』 か、と J はウンザリしかけたが、
善良そうな老人の顔を立てて、ここは妥協することにした J である。
「突然お訪ねして、どうもすみません」 J は立ち上がって老人と挨拶を交わした。
「いつでも構わないって麻与香が……ああ、その、奥方が言っていたので」
「お気になさらず」 老人が微笑む。
「ミス・フウノのことは私も奥様からいろいろ伺っておりますので……」
この老人がJ について、
麻与香から 『何』 を 『どう』 伺っているのかは、J の知るところではない。
だが、J には何となく想像がついた。多分、ロクでもないことばかりだろう。
「それにしても、たいそうなお屋敷ですね」 J は周囲にちらりと目をやった。
「中に入る時も、怖そうな2人組に睨まれましたよ」
「……ああ、阿南と仁雲でございますか? それは申し訳ありません。
何か失礼がございましたでしょうか?」
「いえ、そういうわけではないですが。あの2人は、この家の護衛役ですか?」
特に事件には関係ない会話だったが、老人は律義に答えた。
「そうでございます。2人の他にも、あと数人おります」
「成程。物騒な世の中ですからねえ」
「まったくでございます」
老人は穏やかに相槌を打つ。
物騒な世の中から家を守るには、物騒な男を使うしかない、ということらしい。
理に適っているようで、どこか矛盾している感も否めない。
が、J にとってはどうでも良いことだった。
ことさらに笥村家の雇用問題について知りたかった訳ではない。
あの黒髪の男のことが少しだけ気にかかっただけなのだから。
ご案内いたします、と招く老人の後について、J は部屋を出た。
「どの室内も御自由にお調べいただけます。家の者には連絡してございますから」
屋敷の奥に J を導きながら老人は言った。
屋敷内の出入りは自由という麻与香との申し合わせを老人は了解しているらしい。
余計なことは一切尋ねない。
ありがたい話だが、
女主人が持ち込んだ厄介な依頼の内容については、どうだろうか。
J はさりげなく尋ねてみた。
「なんて名前です?」
「私でございますか?」
「ええ」
「これは申し遅れて失礼いたしました。
ミヨシと申します。先代の主の頃より、このお屋敷の管理を一切任されております」
「それはスゴイな」 J は素直に感心した。
「こんな立派な屋敷を管理するなんて、大変でしょう」
「いえいえ、とんでもない。老いたる身には過ぎるくらい、ありがたいことでございます」
「じゃあ、ミヨシさん。少なくともあなたは事情を承知している、と考えていいのかな」
「旦那様のことでしたら」
Yes とは言わずに、ミヨシは婉曲な肯定の口調で頷いた。
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