では、何故わざわざ笥村邸を訪れたのか。
つまるところ、J の関心の行きつく先は一つだった。
あの麻与香を、
父親ほど年の離れた男と一緒に暮らす気にさせた理由は一体何なのか。
麻与香があそこまで言い切るほど愛している、
あるいは愛しているらしい笥村聖とは一体どんな男なのか。
時折、新聞の紙面やTVモニターの画面を騒がす笥村コンツェルンの総帥。
あの男に秘められた部分があるとしたら、それはこの場所をおいて他にはない。
そう思って来てみれば、何のことはない。
極めて平凡でつまらないカラの空間があるだけだった。
無駄骨だったかな、と J は本気で思って煙を吐いた。
J は決して物見高い人間ではない。
はっきり言って世間の噂やスキャンダルには全く興味がない。
それでも職業柄、世を騒がすハコムラ・コンツェルンの内情に関して
人並み以上の情報は収集している。
麻与香の結婚が笥村の資産目当てである、という噂。
それは、婚約が発表された当時から世間の通説となっていた。
だが、J はカレッジ時代の麻与香を知っている。
彼女がそこまで金に執着しているとは思えなかった。
では、権力が目当てだろうか?
しかし、その考えも何故か J が描くパズルの合わせ目に嵌らない。
社会の頂点を極めるポジションを手中にして満足しているような俗物だろうか。
あの女が。
違う。
ガラじゃない。
様々な推測が言葉の信号となって J の脳裏をかすめていく。
J はかすかに体勢を変えながらソファの沈み具合を確かめた。
J の部屋にあるソファよりも遥かに高級で、遥かに座り心地が良い。
きっと寝心地も良いに違いない。
背もたれに身体を預けながら、さらに J は考えた。
では、あの男の差し金、という案も考えらなくはないだろうか。
血の繋がらない麻与香の伯父。
J は自分の中にある記憶の引き出しから、
『鳥飼那音』 という名前が記された情報ファイルを引きずり出す。
噂によれば、麻与香の結婚に伴って
花嫁の一族、つまり唯一の肉親である那音もコンツェルン内で高きを得たとのことだ。
金と権力を欲したのは実は那音の方であり、
あの男が麻与香を裏から操っていた、ということも考えられるのでは。
……いや、それも恐らく違うだろう。
J は再び自らの考えを打ち消した。
あの麻与香だ。
伯父とはいえ他人の思惑に乗って
簡単に自分の人生を決める女とは到底思えない。
もし、転がす方と転がされる方がいるとしたら、
うまく転がされているのは、きっと那音の方に違いない。
うーん、と唸りながら、J は肘掛の上で頬杖をついた。
どの可能性を検討してみても真実味がない。
ピタリと当てはまりそうな理由が思い当たらないのだ。
『本当に愛していた』 という、基本的で陳腐な理由は
最初から J の頭の中から除外されている。
麻与香自身は亭主を愛していたと断言していた。
『たとえハコムラの名がなくても、あの人を愛していた』 と、確かにあの女は言った。
大層な台詞だ、と J は思う。
他の女が言えばそれなりに納得するかもしれないが、あの女には似合わない。
J の中のほのかな悪意は、
どうしてもその言葉を言葉通りに受け止めることを拒否しているようだった。
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