「どしたの、J」
アリヲに声をかけられた J は、自分の足がいつの間にか歩みを止めていることに気づいた。
2、3歩先ではアリヲが J を振り返り、怪訝な顔つきで J を見ている。
「いや……何でもない」
複雑な胸中を隠し、J は言葉通りの表情と口調を装ってアリヲに並んだ。
「話、聞いてた?」 と、アリヲが尋ねる。聞いてなかったんだろう、という顔つきだ。
「ゴメン、ちょっとボーッとしてた」 と片手を立てて J はアリヲに謝ってみせた。
「やっぱりね」 アリヲは頬をふくらませる。「J って、時々そういうコトあるよね」
「そ、そうかな」
「そうだよ」
アリヲの口振りはどこか拗ねているようで、J を少しばかりうろたえさせる。
自分よりも遥かに年下の少年に指摘されるまでもなく、
誰かとの会話の途中で、時折ふと自分だけの思いに耽ってしまうのは
J も自覚している悪い癖の一つである。
「えーと、何の話だっけ?」 会話を戻そうとして J が尋ねる。
「だから、雪だよ、雪。
『大災厄』 前の時代には、今よりももっとすごい量の雪が降ってた、っていうハナシ」
「ああ、雪ね」
J がぼんやりしている間に流れた話題の内容は、まだ雪から離れていないようだ。
再び J の心の中で、かつての父の言葉が頭を持ち上げかけたが、
辛うじてそれを無視した J は、取り繕うようにアリヲへと顔を向けた。
「『大災厄』 前って、お前、何でそんなこと知ってんの?」
「本で読んだよ」
J の口調に少しばかり感心したような響きがあることを敏感に感じ取ったのか、
アリヲは得意げに言った。
「タイトル忘れたけど、『大災厄』 時代の話が載ってる本。
ずっと前に図書館で借りたの。
すっごい厚い本でさ、読むのに4日間もかかっちゃった。
で、それに書いてあったんだけど、
その頃ってさ、ニホンでも場所によっては2、3mくらい雪が積もることがあったんだって。
想像できる? 3mだよ、3m。家なんか埋まっちゃうよね」
「そうだね。今の時代じゃ降ったとしても、多くてせいぜい30cm程度だ」
「去年は10cmもなかったよ。せっかく楽しみにしてたのに。
今年はもっと降ってほしいなあ」
「あたしは少ない方がいいけど」
「そんなの、つまんなーい」
「だって、冷たいし、すべるし」
「だから、それがオモシロいんだってば」
雪に関しては、2人の意見はどこまでも一致しないようだ。
通りには何本もの細い路地が交差していて、
雪についての話題をかわしながら歩いていた2人は、向きを変えてその中の1本へと進んだ。
その道は、両側に立ち並ぶ混み入った建物に遮られた細長い空間で、
薄暗さも手伝って何やら怪しげで湿っぽい雰囲気を漂わせている。
表通りの一本向こう側の通りへ抜ける近道なのだが、
利用する人間が余りいないのはその空気感のせいだろう。
→ ACT 5-10 へ