J は手近の床に置いてあるコーヒーポットに居ざり寄ってカップに液体を注いだ。
本当はコーヒーよりも煙草に手を出したいところだが、
ここは千代子の部屋であり、全面的に禁煙となっているため、
煙以外で口寂しさを癒すしかないのだ。
J の怪我を見て、有無を言わさず頭に包帯を巻きつけたのは千代子である。
放っておいても大丈夫だから、という J の言葉は却下された。
他にも負ったかすり傷を見つけるたびに、千代子のボルテージは上がったようで、
かくて絆創膏だらけの J が出来上がった訳である。
やがて訪れるだろう NO という名の嵐に備えて、
J はいまだ事務所に帰ってきていない、という口裏を合わせるため、
そのまま千代子の部屋に留め置かれた。
何杯分かをまとめて淹れたコーヒーポットは、その時に千代子が置いていったものだ。
恐らく 「嵐」 がやってきてしまえば、無人であるはずの階上に何度もコーヒーを運んでは
不審に思われるに違いない、と判断した千代子の配慮である。
まったく、よくできた使用人である。
千代子の部屋に入ったのは初めてではないが、
相変わらず、必要なものだけが必要な場所に置いてあるといった簡素さが目立つ。
それはそのまま千代子の性格を表わしているようだった。
時に本物の嵐が吹き荒れたようになる自分のデスクと比べて、シンプルなこと極まりない。
その小奇麗な部屋に隠れてすぐ、予想通りにやって来たわけである。
至極厄介な、嵐が。
だが、NO に目をつけられている J はともかく阿南の方は、
自分が身を隠す必要性を今ひとつ納得していない様子だった。
「相手はただの所轄の刑事だろう。何故、隠れる?」
「……事情があるんだよ、いろいろ」
NO との馴れ初めを語り始めるわけにもいかず、そう答えるしかない J である。
「だが、俺は無関係だ。第一、そいつとは初対面だぞ」
「だから厄介なんだよ」
NO が尋ねてきたのは、十中八九、いや、十中十の確率で、
今晩起こった発砲についてである。
恐らく、他のどこを聞き込むよりも早く、この事務所にやって来たに違いない。
こんな夜、ただでさえ好ましく思われていない J の事務所に、
明らかにこの辺りの住人ではない胡散臭い男がいたら。
発砲。負傷している J。見知らぬ男。
NO の単純な思考は、この3つをいとも容易く結び付けることだろう。
このトライアングルが実際に関わりがあるだけに、尚更話は厄介な方向に進んでしまう。
少なくとも 「私たち、こんなに怪しいですよ、ほらほら」 とこちらからアピールするような真似は
何としても避けたい J、ならびに諛左なのである。
「見たこともない男だから、一層アイツに怪しまれることになる。
ヘタすりゃ、『お前誰だ。逮捕する』 なんて簡単に言われるよ」
「そんな無茶な」
「無茶な男なんだよ、アイツは。この界隈一の嫌われ者さ。
機嫌を損ねると末代まで祟られること、間違いない。アタシが保障する」
「どんな保障だ」
「だからアンタもアイツが帰るまで大人しくしていた方がいいよ。特に……」
J はちらりと阿南のスーツの懐辺りに目をやった。
「銃を持ってる時はね」
「……」
阿南は答えず、空になったカップにコーヒーを注ぐ。
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