ACT 7 - Even such heads are better than none -
ダウンエリアの一画を占める、古びて薄汚れた4階建てのビルの中。
その一室に、2つの人影があった。
1人は部屋の入り口近くに座り込み、
細く空けたドアの隙間から聞こえてくる階下の会話に耳を傾けている。
頭に真っ白い包帯を巻き、
それ以外にも、頬や手の甲などに化膿止めの小さな絆創膏を貼り付けている。
顔の向きを少し変えるたびに、それらが引きつるのか、眉を寄せて小さなため息をつく。
黒髪に黒い瞳のその顔つきは女のもの。
このビルの主である、J だ。
主である割には、どこか気配を潜めている様子が怪しげである。
もう1人は、といえば、そんな相手の様子を離れた位置からただ眺め、
時折、大きな身体を動かしては座る姿勢を少し変えてみたり、
床に置かれたコーヒーポットとカップに交互に触れてみたり、と
特にやるべきこともなく、どこか居心地が悪そうな様子である。
常夜灯がわりに置かれた電気スタンドのほの暗い明かりがが2人をうっすらと照らし、
床から壁に向かって、実際よりも大きな薄い影を落としていた。
2人の間で、特に会話はない。
かといって、部屋の中が静まり返っているか、といえば決してそうでもない。
階下から途切れ途切れに聞こえてくる怒号は、壁や天井の遮りもものともせず、
さらにドアの隙間が開いていることもあって、離れたこの部屋にも騒がしさを伝えてくる。
……大体なんでお前が…こに。
……だからさあ…。
……お前こそ…何度もやって来て…。
……仕事で…るんだから仕方がない…だろう。
……J、いないのん?
……発砲があって…アイツはどこに…。
……知るか…近所迷惑なんだよ。
……つまんないよん…コーヒーおかわり。
……どこかに隠して…。
……胡散臭い連中が集まって何を……。
……俺は遊びに来ただけで…別に…だよん。
……さっさと帰れよNO…。
……なんだと。
「……おーお、相変わらず、だよんだよん引っ掻き回してんな、あーちゃんのやつ」
下からの会話を耳にしていた J が、軽い笑みを浮かべながら独り言めいた言葉を吐く。
「でも、調子に乗り過ぎて、あの不良刑事に長居されると厄介だな」
「……」
「まあ、諛左がいるから大丈夫か」
「……」
「にしても、来るとは思ってたけど、意外に早かったな、NO のヤツ」
「……おい」
「あ?」
傍らに控えている男から不意に声をかけられ、
J は部屋にいるもう1人の存在を思い出す。
「ああ、阿南……さんだっけ。何」
阿南と呼ばれた男は、薄暗がりの中でもそれと判るほど憮然とした顔つきで
J に暗い目を向けている。
真昼の光の中では、薄い氷のような蒼みを帯びている筈のその瞳は、
今は濁った沼のように深い色をたたえて、周囲の暗さに同化していた。
「何で俺までこんなところに隠れなければいけないんだ」
「……それは、だってねえ」
J はドアを静かに閉めた。
隙間を失い、階下の声も幾分遮られたが、
それでも床を伝って会話の端々が軽い振動となって伝わってくる。
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