結局。
麻与香にとっては、愛する夫が姿を消した、という深刻で悩ましい状況ですら、
退屈な人生に刺激を提供してくれる、ただの趣向の一つでしかないのだろうか。
まるでゲームのように J を動かし、阿南を巻き込み、
微笑みながらシナリオの先行きを楽しんでいる。
あるいは。
ふと J は思う。
このシナリオ自身、麻与香が自らの退屈を紛らわせるために作り上げた
出来の悪い舞台劇のためのものなのかもしれない。
『亭主を探してほしいのよ』
『あたしはあの人を愛しているわ』
『アンタに頼みたいのよ』
笑いながらそう言っていた麻与香の美貌が、J の脳裏に張り付いて離れない。
まるで HIDE-AND-SEEK のようだ。
隠れた子供を捜すように、笥村聖を捜す。
捜すのは、J。
離れたところで見ている麻与香。
キレイな、上等の猫のように小狡い表情を浮かべて。
その心の中は。
「……タイクツ……タイクツ、タイクツ、か……」
ポツリと J が呟く。
怪訝そうな阿南の視線とぶつかり、J は浅いため息をつく。
「あんたンとこの総帥夫人さまの、頭の中に詰まってるモノだよ。退屈ってやつ」
「……」
「厄介なことに、あの女の退屈は、周囲の人間を巻き込むんだ。
台風とか嵐とか、そんな荒々しいものじゃない。
でも、水に垂らした毒のように、じんわりと回りに広がっていく。
気がついた時には、皆が毒にかぶれてる。あんたもその1人だな、阿南さん」
「あんたは違うのか?」
「あたしはカレッジ時代から毒まみれさ」 皮肉めいた J の声。
「しかも解毒剤がないから溜まる一方で困っている」
「俺より重症だな」
「まあね。アイツの毒はタチが悪い」
言葉を交わしながら、阿南に対する奇妙な親近感を覚えて J はふと笑う。
それは、共に頭を悩ませている 『麻与香』 という存在が、
2人の距離を少しばかり近づけたせいかもしれない。
恐らく、笥村聖の失踪について、阿南は何も聞かされていないに違いない。
勿論、その捜索を J が押し付けられたことも。
込み入った事情も知らないまま、降って沸いた 『余計な仕事』 に就かなければならない、
そんな阿南の心情は、考えてみれば気の毒と言えないこともない。
「……ま、ガードしたいっていうなら、勝手にすればいいさ。
あんたが張り付いているからって、こっちは大人しくする気、ないもんね」
「したいわけじゃない」 阿南がむっつりと訂正する。
「判ってる。命令だって言うんだろ。でも、こっちだって、されたいわけじゃない。
自分だけがウンザリしてると思うなよ」
「どうせ俺は飼い犬だからな」 阿南の口調は自嘲を帯びている。
「確かにウンザリはしているが、護衛しろというなら、きっちりしてやるさ。
それでエサを貰ってるんだ。まあ、よろしくな、ミス・フウノ」
「だから、その呼び方は断る」
「あんたの本名だろう。夫人がそう言っていた」
「でも、呼ばれたくない。今は 『 J 』 で通ってんだ。呼ぶなら、そっちにしてもらおう」
「面倒だな。どうせ夫人に報告する時は 『ミス・フウノ』 と言わなきゃならないんだ。
幾つも名前があると混乱する。だから俺は 『ミス・フウノ』 でいい」
「あたしがよくないんだっ」
「下に聞こえるぞ、ミス・フウノ」
大仰な仕草で阿南は唇に指を当ててみせる。
融通の利かない男かと思ったが、なかなかどうして小面憎い。
というよりは、これまでの理不尽さが原因で溜まりに溜まった麻与香への鬱憤を、
わずかながらも今、ここで J を相手に晴らしてやろうという、微量な悪意さえ感じてしまう。
苦々しげに押し黙った J は、阿南を睨みながら
やがて空になりそうなコーヒーポットに手を伸ばした。
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