タカが出てくる夢を見た。
鳥のタカ。
何でそうなったのかはよく思い出せないけど、
タカがワタシの肩の上に止まっていた。
人から譲ってもらったのか、
空から飛んできて肩に止まったのか、
ともかく、ワタシはタカをのっけて歩いていた。
肩に止まっているから、タカの羽がほっぺたに触れて
ミョーにフワフワした感触が気持ちよかった。
「これは、あれだな。ちょっとした鷹匠のようだな」 と思ったワタシは
そのタカを見せびらかしたくて、商店街などをそぞろ歩きしてみる。
でも、意外と人々の反応は薄い。
まるで犬か猫を連れているかのように、タカを見る。
「そーか。タカって、連れ歩いてもおかしくないイキモノなんだー」 とミョーに納得し、
そのまま散歩を続ける。
タカはいたって大人しい。
肩の上でじっとしている。
「クルックー」 とかゆって鳴きそうな、それぐらい大人しい。
さほど重くもない。
私の肩にしっかりと爪をかませて身体を支えているが、圧迫感があるものの、痛くはない。
羽ごしに伝わるタカの体温を感じて、「ああ、こいつも生きてるんだなあ」 と実感する。
そのうち、ふとタカを飛ばしてみたくなる。
鷹匠のように空に放ったタカが、またワタシの肩に戻ってくる、そんなことを試してみたくなる。
でも、ちょっと怖くなる。
今は大人しく収まっているけど
羽を広げて飛んだとたんに、猛禽類の本性を現すのでは?
そして、そこらへんにいる小さい子ども達に襲いかかって怪我でもさせてしまうのでは?
何よりも、1度空に放ったら、もう二度と戻ってこないのでは?
それはイヤだ。
タカは別段飛びたくもなさそうだ。
ワタシの肩の上で満足しているらしい。
だったら別に、飛ばすこともないか。
やめとこう。
でも、見てみたい。
飛ぶところを。
でも、コワイ。
アブナイかも。
結局、どうしようか、と迷いながら
タカをのせたまま、町の商店街をウロウロと歩き続ける……。
というところで、目が覚めた。
なぜ、タカ?
なぜ、肩のり?
ちょっと気になって、昔買った夢判断の本などを久しぶりに開いてみた。
タカの夢が現わしているのは、観察力の鋭さ。
そして、問題や生活全般を高いところから俯瞰してみたい、という願望の現われ。
だそうな。
でも、ワタシの夢の中のタカは、高いところを飛んでいなかった。
ずっとワタシの肩にいた。
むりやり解釈してみる。
今の生活を全体的に見直したい、と思いつつ、
見直して現実を突きつけられるのが怖くて、迷っている……といったところ?
見直そうと思えばすぐ近くにその手段があるのに、
手段があるだけで安心して、実行しようとしない……みたいな?
そして、それに罪悪感を感じている?
……というのは、ちょいと自戒的な言い方だけど、
こんなふうに解釈すること自体が、自分の中にある罪悪感の表れかもしれない。
現実を見ろ、と。
生活を考えろ、と。
今の環境に満足するな、と。
うーむ。
自分で自分の生き様にダメ出ししてしまった。
もっとも、今書いた解釈は全部、その本に書いてあった意味をもとに考えたものだから、
それが正しいかどうかは分かりませんが。
というより、タカの夢にどんな意味があるか、が問題なのではなく、
こんなふうに解釈してしまう自分の潜在意識の方が引っかかる。
ふだん考えないようにしていることを、
解釈にかこつけて自分に言い聞かせているのかもしれない。
つまり、これは自分の心の声なワケで。
「今のままじゃイカーン」 と、自分で思っているワケで。
「現状をなんとかしなきゃ」 と思いつつ、それを先送りにしていることへの罪悪感。
ヘコむぜ。
思い当たるだけに。
ちなみに、正月に見る縁起のいい夢。
一姫、二太郎、三なすび。
ちがーう。
これは夢じゃなくて、昔ながらの、子どもが生まれる望ましい順番。
しかも、なすびを生んでどうする。
正しくは、
一富士、二タカ、三なすび。
今は正月ではないけれど、縁起物には変わりないはず。
それなのに、逆にヘコまされるとは。
でも、あのタカ、かわいかったなあ。
クルックー。
鳥のタカ。
何でそうなったのかはよく思い出せないけど、
タカがワタシの肩の上に止まっていた。
人から譲ってもらったのか、
空から飛んできて肩に止まったのか、
ともかく、ワタシはタカをのっけて歩いていた。
肩に止まっているから、タカの羽がほっぺたに触れて
ミョーにフワフワした感触が気持ちよかった。
「これは、あれだな。ちょっとした鷹匠のようだな」 と思ったワタシは
そのタカを見せびらかしたくて、商店街などをそぞろ歩きしてみる。
でも、意外と人々の反応は薄い。
まるで犬か猫を連れているかのように、タカを見る。
「そーか。タカって、連れ歩いてもおかしくないイキモノなんだー」 とミョーに納得し、
そのまま散歩を続ける。
タカはいたって大人しい。
肩の上でじっとしている。
「クルックー」 とかゆって鳴きそうな、それぐらい大人しい。
さほど重くもない。
私の肩にしっかりと爪をかませて身体を支えているが、圧迫感があるものの、痛くはない。
羽ごしに伝わるタカの体温を感じて、「ああ、こいつも生きてるんだなあ」 と実感する。
そのうち、ふとタカを飛ばしてみたくなる。
鷹匠のように空に放ったタカが、またワタシの肩に戻ってくる、そんなことを試してみたくなる。
でも、ちょっと怖くなる。
今は大人しく収まっているけど
羽を広げて飛んだとたんに、猛禽類の本性を現すのでは?
そして、そこらへんにいる小さい子ども達に襲いかかって怪我でもさせてしまうのでは?
何よりも、1度空に放ったら、もう二度と戻ってこないのでは?
それはイヤだ。
タカは別段飛びたくもなさそうだ。
ワタシの肩の上で満足しているらしい。
だったら別に、飛ばすこともないか。
やめとこう。
でも、見てみたい。
飛ぶところを。
でも、コワイ。
アブナイかも。
結局、どうしようか、と迷いながら
タカをのせたまま、町の商店街をウロウロと歩き続ける……。
というところで、目が覚めた。
なぜ、タカ?
なぜ、肩のり?
ちょっと気になって、昔買った夢判断の本などを久しぶりに開いてみた。
タカの夢が現わしているのは、観察力の鋭さ。
そして、問題や生活全般を高いところから俯瞰してみたい、という願望の現われ。
だそうな。
でも、ワタシの夢の中のタカは、高いところを飛んでいなかった。
ずっとワタシの肩にいた。
むりやり解釈してみる。
今の生活を全体的に見直したい、と思いつつ、
見直して現実を突きつけられるのが怖くて、迷っている……といったところ?
見直そうと思えばすぐ近くにその手段があるのに、
手段があるだけで安心して、実行しようとしない……みたいな?
そして、それに罪悪感を感じている?
……というのは、ちょいと自戒的な言い方だけど、
こんなふうに解釈すること自体が、自分の中にある罪悪感の表れかもしれない。
現実を見ろ、と。
生活を考えろ、と。
今の環境に満足するな、と。
うーむ。
自分で自分の生き様にダメ出ししてしまった。
もっとも、今書いた解釈は全部、その本に書いてあった意味をもとに考えたものだから、
それが正しいかどうかは分かりませんが。
というより、タカの夢にどんな意味があるか、が問題なのではなく、
こんなふうに解釈してしまう自分の潜在意識の方が引っかかる。
ふだん考えないようにしていることを、
解釈にかこつけて自分に言い聞かせているのかもしれない。
つまり、これは自分の心の声なワケで。
「今のままじゃイカーン」 と、自分で思っているワケで。
「現状をなんとかしなきゃ」 と思いつつ、それを先送りにしていることへの罪悪感。
ヘコむぜ。
思い当たるだけに。
ちなみに、正月に見る縁起のいい夢。
一姫、二太郎、三なすび。
ちがーう。
これは夢じゃなくて、昔ながらの、子どもが生まれる望ましい順番。
しかも、なすびを生んでどうする。
正しくは、
一富士、二タカ、三なすび。
今は正月ではないけれど、縁起物には変わりないはず。
それなのに、逆にヘコまされるとは。
でも、あのタカ、かわいかったなあ。
クルックー。
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本を読んだり、文を書いたり、写真を撮ったり、絵を描いたり、音楽を聴いたり…。いろいろなことをやってみたい今日この頃。
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