J を自己嫌悪に陥らせている原因は、他にもある。
ドジを踏んだ。
タカギ程度の男を相手に、自分が怪我を負うなんて。
その思いが気分の悪さに追い討ちをかけていた。
J は右耳の上あたりを指で触れ、乾いた血がザラつく感触と、かすかに響く痛みに眉をしかめた。
石縁にぶつけた頭が、まだ少しクラクラする。
相手の力を見切り、見くびり、結果として調子に乗って軽んじてしまった感は否めない。
コートを引っ張られた時の不自由感を思い出し、J は忌々しげに舌打ちした。
正直に言えば、確かにあの時は少しヤバかった。
あの距離で、あの位置から発砲されていたら、いくら身軽さを自負する自分でも、
避けきることができたか、どうか。
もしも誰かがタカギを撃ってくれなかったら、どうなっていただろう。
誰か……誰が?
急速に J の思考がその点に集中する。
撃ち抜かれたタカギの右腕の傷を見た限りでは、発砲した相手は相当な腕の持ち主に思える。
恐らく、撃ったのは空き地の入り口あたりから。
J の視線がその方向へと向けられる。
勿論、そこには誰もいない。
最初は、諛左が撃ったのだと思った。
事務所で銃声を聞きつけ、J が関わっているであろうことを察して
(そういうことに関しては、あの男はやたらとカンが働くのだ) ここに駆けつけた……。
実際に、これまでにも似たような局面で J は諛左に何度か危ないところを救われている。
それに姿を見せずに陰から助ける、という行動は、いかにもあの男がやりそうなことだ。
だが、男達が去った後も姿を現わさないところを見ると、どうやら諛左ではないようだ。
何よりも、たとえどんなに上手く物陰に身を潜めていようと、
長年慣れ知った諛左の気配は、いるだけで判る J である。
今回は、その気配がなかった。
しかし諛左でないとすると、J には他に思い当たる人間はいない。
ここに J が来ることを知っているのは、あーちゃんぐらいだが、
あの金髪の情報屋がそれ程の銃の名手とは聞いたことがない。
では、ダウンエリアには珍しく正義感あふれる住人の1人がたまたま通りすがり、
見るに見かねて J に加勢した……まさか。
そんなことは、夢にもないだろう。
嵐が去った今ですら、空き地の周囲にある家々はひっそりと静まり返り、
ここで起こったことと自分達とはまったくの無関係で、何も見ていないし、聞いていない、
そう自分達に言い聞かせながら、固く扉を閉ざしているに違いない。
恐らく、警察がこの辺りを調べに来たとしても、住人達は知らぬ存ぜぬを通すだろう。
臆病で警戒心が強いという短所も、時には J の助けになることがあるのだ。
もしかしたら、あれは J を助けるための発砲ではなく、
単にタカギを狙ったものであったかもしれない。
あの男なら、きっと行く先々で数多くの個人的怨恨を買っていることだろう。
その中の一つが、ああいう形でタカギに向けられたのだとしても、不思議なことではない……。
あれこれと考えるのが面倒になった J は、
いつものように結論を出さないまま思考を打ち切った。
気がつけば、J を取り巻く夜の空気は数時間前に比べて冷ややかになり、
じっとしているだけで、じわりじわりと寒さがしみこんでくるようだ。
とっとと帰ろう。
千代子さんの入れるコーヒーが懐かしく、恋しい。
相変わらず濁ったままの噴水の水から目を離し、
ゆらりと立ち上がった J は、もと来た路地へ戻ろうと足を向けた。
だが、一歩も進まないうちに、その歩みが止まる。
数分前まで誰もいなかった筈のその場所に、男が、1人立っていた。
あまり物事に動じない性質の J だが、突然現れた男の姿にはさすがにギョッとした。
何の物音も聞こえなかった。
何の気配も感じなかった。
だが、いつの間にか近い位置に現れた男の存在に、J は自然と身を硬くした。
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