「それに、ハコムラのことだけじゃない」 J が新しい煙草に手を伸ばす。
「ほら、今日尾けてきた連中。あいつらのことも気になるんだ」
「……ああ、それもあったな、そう言えば」
J に言われて、今日の一連の騒動の発端となった事件、
一部の警察関係者は NO の指示の元、今この瞬間も夜のダウンタウンを駆け巡っている、
その原因となった事件のことを、諛左はようやく思い出す。
「連中の正体は判らないんだろう?」
「ハッキリとはね。でも、たぶんハコムラ本社を出た後から尾けられてたんだと思う」
「なんだ、じゃあ結局、それもハコムラ絡みか」
「だから、ハッキリしないんだってば。
とにかく、それをあーちゃんに調べてもらおうと思ってさ。
あーちゃんは奴等の顔も見てるし、たぶん、すぐにアタリをつけてくれると思うんだ」
「話を聞いてる限りでは、調べなきゃならないほど大した連中でもなさそうだがな。
……ま、いいんじゃないか。それより、明日の件だが」
「明日ぁ?」
今日だけでも色々な出来事が起こったというのに、
この上、夜が明ければまだ何か待っているのか、と言いたげな J の視線に、
呆れた、というよりも、ウンザリ気味の表情を諛左は返した。
「もう忘れてるのか。狭間との会見があるだろうが」
「おーっと……すっかり忘れてた」
「そういうヤツだよ、お前は」
「まあ、そう言うな。で、何時だっけ」
「1時」 悪びれもせずに答える J に、今度はため息交じりの諛左である。
「だが、どっちにしろ、明日は俺一人で行く。お前は連れて行けないな」
「え、なんで。ウワサの狭間の顔を見てやりたかったのに」
J の問いに答える代わりに、諛左は J の頭の包帯に目をやった。
その視線の意味に気づいた J が、少しだけバツが悪そうに包帯の上から頭を掻く。
「……これか」
「そうだ」 諛左の声は厳しい。
「天下のハコムラ様に、真昼間から
『昨夜ちょっとケンカしました』 っていうツラの人間を連れて行けるか。
入り口で止められるに決まってる」
「そんなにヒドイ顔かな……」
「いつもよりはマシな方だが、
毎日会社のデスクで真面目に仕事をしている青白い人種から見れば
つい敬遠したくなるようなツラ構えだ」
容赦なくそんな事を言う諛左に、むっつりとした表情の J が反論すべきか迷っていると、
タイミングよく、隣室へのドアにノックの音が響いた。
「何、話してるのぉ?」 と、顔を覗かせたのは、あーちゃんである。
「2人して客を放ったらかしにしてたら、イカンじゃないの」
どうやら、さすがのあーちゃんも阿南との話題が尽きたようで、
今度は、密やかに隣の部屋で交わされている諛左と J の会話に興味を持ったらしい。
探るような光を青い目に浮かべて2人を交互に見比べている。
その背後から、阿南がソファに座ったまま、同じように視線を向けていた。
一瞬、J と諛左は顔を見合わせた。
さて。
この賑やかしい男と、背後で黙々とコーヒーをすすっているカタブツな男に、
何と言って話を切り出すか。
軽い鬱気を感じながら、J はゆっくりと立ち上がって隣室へと向かった。
後に諛左が続く。
しかし、いつも仕事の度に味わってきた、馴染み深い倦怠感に包まれながらも、
J の心の中では、憂鬱とは別の感覚が芽生えようとしていた。
それは例えて言うなら、少しずつエンジンが温まっていくような、
目的に向かって走り出す準備に入ったような、そんな前向きな感覚だった。
諛左と話して少しばかり気が楽になった、ということもあるが、
スロー・スターターであることを自負している J が 生来の慎重さを経て、ようやく、
厄介で面倒な今回の一件と向かい合う心づもり (あるいは 『開き直り』) を整えた……
この時が、まさにその瞬間だったのかもしれない。
依頼を受けて、まだ3日。
その間に起こった様々な出来事を思えば、この先どんな状況が待っているのか、
どこまで複雑に物事が絡み合っていくのか、当事者の J にすら予測がつかない。
だが今の J の心境は、『なるようになれ』。それだけだった。
今後どんなシビアな展開になろうとも、その一言ですべて受け流す。
受け止める、のではない。受け流す、のだ。
『覚悟』 というには、やや気迫が足りない心情ではあるが、ともかく J は唐突にそう決心した。
「あーちゃん、ちょっとオモシロい話があるんだけど」
ドアのところに立ったままのあーちゃんの肩を、すれ違いざまに軽く叩き、
そう言った J の言葉には、どこか吹っ切れたような様子があった。
J の心境の微妙な変化を未だ知らない諛左は、
それを耳にして、意外そうに眉を上げただけだった……。
-ACT 7- END
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